読書『すべてはモテるためである』

今年から開講する演習に所属する2年生の男子学生があるとき研究室に訪問してきた。「実はレポートを書かなくてはならなくて…」という。話を聞くと自由なテーマで本を読んで、それについてレポートを書くという授業とのこと。彼は「この本を素材にしようとしているんです」といって、『すべてはモテるためである』という本を持ってきた。この本を読んだのはこの学生が本を紹介してくれたからである。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

この本では、ジェンダー論の上野千鶴子、哲学者の國分功一郎氏らが解説などを行なっている。それだけでも興味深い。AV監督が著者だという。この本では、なぜ自分が「もてないのか」というの論点を、一言「キモチワルい」からという視点で論じている。ではキモチワルいのはなぜか。それは、相手との距離感がつかめていないから、突き詰めて言えば、自分が何をしたいのか考えていないからになる。相手とどうしてデートしたいのか、下品なことを考えているのか。でも、それって「自分を理解してほしいから」じゃないの?…結局のところ、モテナイ要件の第1は、自分の心のよりどころ、著者の言葉でいえば「心のふるさと」が確定していないことにつきる。そして、相手のことを知ること、もっといえば、「相手を理解しようとつとめること」が距離感を縮め、モテル要件の第2であることが結論付けられる。

こういう風に書くといたってまじめな内容に見える。たしかにまじめな人間関係を論じた本である。しかしところどころにエロ要素が隠れている。またキャバクラや風俗に行くことでコミュ能力を高めよともいっており、議論があるところであろう。私はこの本の意見におおむね賛同する。ぎらぎらしていてももてる人間は、相手との距離感を分かっているはずである。自分もそうありたい。久しぶりに一気に読了したよい本であった。薦めてくれた学生に感謝。学生の意見にも耳を傾けよう、そう思わせた本なのでした。

個人的な話になるが、自分自身「心のふるさと」を確かめてきたのがこの10年間だったのかなと振り返る。自分のよりどころがはっきりしていなくって、もちろん好きなスポーツとか信じるべき考え方とかはあったが、それを相手に押し付けてきたことで、恋愛や人間関係に失敗を繰り返してきた歴史であったといえる。自分が面白いと感じれること、すなわち研究をすること、という領域を見つけて、それは専門家同士で話し合えば解決することを見つけた。もちろん、この業界でプロになることはそれだけ厳しい。論文を書くことはしんどい。けれども、それを相手に強制したり、見せびらかせたり、することは10年前の大学生のときの自分よりは少なくなった。

正確に言えば、授業などでは学生に対してそれをする。「勉強しないとやばいよ、勉強するとこんなに面白いよ」。でもプレイベートではより慎重に、相手の性格や考えを見極めながら接近する。心の中ではそう思っていても、少し距離感を見極めるような癖がついた(ただし、仕事とプレイベートの境界線はきわめてあいまいである)。「確固たる信念を持っている人間になりたい」。そう思いながら毎日を過ごしてきたのが今の自分の糧になっている。そう思わせる不思議な「名著」である(と大それたことを書いたが、この本ではそんなことは書かれていない。もてるための要件を必死に検討するのがこの本である)。