遠藤公嗣『これからの賃金』を読む

これからの賃金

これからの賃金

<主要な論点>
 遠藤公嗣『これらからの賃金』旬報社、2014年をようやく読了。この間の遠藤理論とも呼べる、職務給による日本型雇用の改革の方向性が平易に解説されている。教科書として使うことも有効だろう。以前よりも丁寧に、その議論が紹介されている。社会政策学会の主流の意見であることは間違いない。いくつか感じた点、論点をメモしておく。第1の論点は、日本における役割給をどのように位置づけるのかという点。職能給ではないが、アメリカ型の職務給に近づいている。範囲レート職務給に近いというのがこの本の結論(51頁)。ただし、これを職務給そのものと見なすか否かは、議論が分かれる。例えば、黒田兼一氏は役割給を「ヒト基準要素」にとどまるとしている。
 第2の論点は、日本型雇用崩壊後の新たな雇用システムをどう構築するかという点。職能給から職務給へ、その移行のプロセスにあたって、ジョブ型のみが日本の働きすぎを抑制するという議論がしばしば見られる。しかし、ジョブ型でも規制のあるそれと、そうじゃないものがある。『労働法律旬報』に連載された記事と比べて、かなり丁寧な議論になっているとの印象を受けるが、それでもこの本の議論は、最低賃金や労使交渉、人事査定の役割をどの程度考慮するのかが、分からない。その他のいくつかのアクターと連動して、職務評価が有効に機能しうるのではないかという議論はある。
 『これからの賃金』との対比で読まなければならないのは、黒田兼一・山崎憲『フレキシブル人事の失敗旬報社、2013年であろう。黒田兼一氏は同書で、職務給を導入したからといって、自動的に公正な職務評価が行われるわけではないと指摘している(179頁)。先に述べた役割給の評価も異なる。

<テキストとしてのよさ>
『これからの賃金』でよかったところ。1つ目。1960年代型日本システムのモデルの図表(105頁)。これは分かりやすい。女性労働だけではなく、学生労働も家系補助型として、男性正社員の対称に描いたこの図は、非常に説得力がある。「伝統的家族モデル」の扶養対象としての学生アルバイトである。2つ目。ブラック企業の定義。巷ではブラック企業の定義が定まっていないとして、意味を否定する議論もある。この本では、過酷な労働を労働者に求めるが、その対価であるはずの正規労働の待遇を与えない企業、としている(129頁)。簡潔であると同時に、日本型雇用との連続性・不連続性も示すよい定義だと思う。

※中小企業はブラック企業だとか、日本型雇用はブラック企業だというのは、資本主義的企業が剰余価値の取得に原理があることを考えれば、あまり意味のない説明だと思います。少なくとも、「ブラック企業」が論じられるようになったのは、長時間労働⇔相対的雇用保障という「日本型雇用」が崩れ、長時間労働⇔雇用も不安定という働き方が広がったからです。この点を注視せず、富岡製糸場ブラック企業だといっても、意味がないと思います。

<残された課題>
 以上の2つのメリットの関係で考えたこと。先の図表では男性正社員が「将棋の駒」型、女性が両辺に位置する三角形と位置づけられている。従来の労働研究は事実上、男性の正社員しか研究してこなかったという主張は説得力がある。しかし、女性労働や学生アルバイトとならんで、中小企業はどう位置づくのか、議論が少なかったように思う。繊維零細企業はこの図表でいうと、どう位置づけられるのか、あるいは改革の方向性にどのように組み込まれるのか、議論が必要であると感じた。最後に、ケアレスミスをひとつ。53頁以降でキヤノンを「キャノン」と表記している。周知のように、キヤノンの語源は、観音=CANNONである。会社の説明会などでも、このことは徹底周知されていると聞く。学生も多く読むと想定される本だけに、改訂時には修正をしてもらいたい。