自分自身の反省も含めて考えたこと

 ピアレビュー期間のため、同僚の先生の講義に参加。大教室での講義。レジュメ3枚とスライドによる講義。空欄部分は赤字で、重要部分は青字で表示され、レジュメの内容が良く理解できるような配慮がなされている。扱われているテーマも、歴史的な背景を丁寧に説明されている。また随時写真などが紹介され、とても興味を引く内容になっている。他方で、後方部分に着座したが、講義と関係のないスマホいじりが目立つ。また講義開始してから5分前後はおしゃべりが少なくない。大教室で「学生をいかに勉強させるのか」という点で、自分自身はどうできるのか考えた。教員個人の努力もあるが、受講者数などの問題もあるように感じた。

 以下は自分自身の反省も含めて考えたこと(上記の同僚の先生の話とは直接関係がありません)。講義内容が面白いということは、学生が勉強をしたいと思うインセンティブのひとつである。それは間違いないのだが、それと講義で主体的に勉強する、関わるというのは別。映像をみたり、丁寧に説明したりする。それは関心を持ってもらううえで大事なことだが、学生はあくまで講義を受ける「お客さん」として楽しんでいる。主体になりえていない。講義時間中に勉強させるということになると、時間の関係から、知識の提供は後退せざるをえない。

 おそらく問いかけを多くしたり、その場で文章を書かせたり、隣の人たちと議論をさせたり、そのようなことが参加型の講義として想定される。アクティブラーニングのようなものがそれに該当しそうだが、そういった講義スタイルでは、専門性の程度というか、中身は希釈化せざるをえない。形式のみで中身は学生に任せる。アクティブラーニング系の究極の姿はそれだが、特定の問題に対して問題関心を磨いていくというものになりづらい。なんというか中間形態が必要だと思う。

 大教室であっても発問を多くする、問いかけをする。そのあたりの工夫は必要だとは思う。大学の講義は、大学教員が持つ専門性への強い憧れ、あるいは信仰みたいなものとセットである。専門性をどの程度捨象することができるのか。そのあたりに幅がある。ただ、個人的に大学講義における専門性を捨てられるかどうかというと、自分自身は強い抵抗がある。本当は3回に1回くらい、全体の振り返り、反省会のようなものを設けて、文章を書かせる、議論させる。そのような取り組みが必要なのだろうと思う。一応、本年度はそれらしきものを入れてみたけれど、文章を書く、その中身を見ることがうまく連動できておらず、やや中途半端になっている。