牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』集英社、2013年。

 牟田和恵『部長、その恋愛はセクハラです!』集英社、2013年。キャッチなタイトルとは裏腹に、本書ではハラスメント事案がどのように生ずるのかを、かなり丁寧に説明している。上司と部下、教員と学生などのように上下関係がある。その場合に表面上は嫌とは言えない。あるいは、言いにくい。そんなすれ違いを、男性は恋愛感情と錯覚する。過去の裁判例では、男性はハラスメントなんてしていない。女性の主張は嘘っぱちと捉えがち。けれども、それは問題の事実を自分の主観から解釈したものに過ぎない。女性の側からは断れない、問題化したくない。そんな心理があるが、男性にはそれが全く見えない。そのあたりの決定的な認識のズレがハラスメントを生む。本書では全般的にセクハラと表現しているが、そのほとんどは権力関係をもとに行使される内容が含まれている。たから、ハラスメントとはなにかを理解するのに役立つ本だと思う。

部長、その恋愛はセクハラです! (集英社新書)

部長、その恋愛はセクハラです! (集英社新書)

テキストリーディング

 外書購読では文脈も含めてすべての文章を丁寧に訳す。正確に理解できているのか、確認しながら進められる。日本語のテキストの場合、レジュメでまとめてしまうので、文脈の精読に至らず、流してしまうことが多い。日本語であっても文脈を理解しているのか、はっきりいって微妙だ。外書購読のように、丁寧なテキストリーディングをやりたい。最初の文章から随時内容を確認していって、わからないことをすべて解消したい。極端な話をすれば、テキストの精読にはレジュメを、かならずしも必要としない。レジュメ作成はテキスト理解の手段だが、それ自体が目的となっている。基本はテキスト内容を理解できているのか、わからない点を解消できるのか。それにつきる。

映画『永い言い訳』2017年。

 映画『永い言い訳』2017年。小説家の主人公。理容点で働く妻がいるが、愛情が冷めている。妻が友人とバス旅行に出かける。不慮の事故にあって亡くなる。そのとき主人公は愛人と一緒にいた。小説家の主人公は、妻がなくなってから、生活リズムがかわる。バス事故の被害者つながりで、妻の友人だった家族と接点を持つ。兄、妹、そしてトラック運転手の父。母不在で家庭がうまく回っていない。お兄ちゃんの塾の送り迎えから、手伝いをすることになる。送り迎えをして、一緒にご飯をつくる中で、今までの自分とは違う人間らしさを取り戻す。概ねそのような話。
 主演の本木雅弘さんのよい演技が光る。自意識過剰で、自分のことしか考えていない、テレビやメディア向けの見られ方ばかりを意識している。そんな男性を絶妙に描き出している。その男性が、妻の友人だった家族と接点を持つことで、徐々に変わり始める。そうした描写が、なんとも上手い。家族の雰囲気、たとえば兄弟や、親と子どもの喧嘩の仕方、みていて「そうなっては駄目だよ」と思うシーンがいくつかある。でも、主人公はある程度、距離を置き、自分は「そうした家族とは違うのだ」と観念する。観念の具合も男性の孤独さを表現している。妻は序盤にしか出てこない。終始、男性目線の映画とはいえ、家族関係や子供との関係の描き方がうまいと思った。

自分の意見を言う前に

 自分の意見を言う前に事実関係の丁寧な理解を知りたい。あるいは、文章に書かれていることの正確な理解を知りしたい。あなたは、この議論をどう考えるのか。そのことばかり習慣化しているようにみえる。率直に言って、学問的な態度からの後退だと思う。

授業ガイダンス

 授業ガイダンス。1回目の講義はなんどやっても緊張する。新聞記事を紹介すると、「読まないので是非やってほしい」との声が必ずある。自分は日経新聞を主として用いるのだが、かなりの程度日経の宣伝になっているはず。感謝状もらいたいくらいだ。

神聖な土俵に女性が上がっていけない

 神聖な土俵に女性が上がっていけない。大相撲の伝統だとされるが、女性が上がることのできない客観的根拠は乏しい。大相撲は純粋なスポーツではなく、伝統芸能のひとつ。けれども、外国人力士も増えているり現状からしても、近代スポーツとしての体裁を徐々に整える時期に来ているのではないかと思う。

学童保育1週間経過

 学童保育1週間経過。バス通学も徐々になれてきた模様。通学の安全を守るボランティアの方がいる。小学校に通う生徒たちは「おはようございます」と挨拶がする。ふだん見慣れている町が、「通学路」という子供目線のフィルターを通すと、違うように見える。新鮮だ。