読書『大学のエスノグラフィティ』

新しい勤務先にうつってゼミをどう運営すべきか、事前に勉強をした。ある同僚の先生がとある本の中で、ご自身のゼミナールについての経験をかなり詳細に書かれていた。そこには、先輩・後輩の縦のつながりをどうやって作るのか、他大学との合同ゼミにむけて学生にどうはっぱをかけるのか、などについて実に様々なノウハウが詰まっていた。自分は着任する前の3月に、偶然図書館で読んで、非常に参考になった。今回紹介するのは、その論考の参考文献で挙げられていた本である。

大学のエスノグラフィティ

大学のエスノグラフィティ

その名はずばり『大学のエスノグラフィティ』である。東大の文化人類学者である著者が、ゼミナールとは何か、大学教員とはどんな仕事をしているのか、家庭と仕事の両立は可能なのか、縦横無尽に論じています。

基本的にこの手の本は好きです。大学とはどうあるべきか論も好んで読みます。この本が類書と異なるのは等身大の大学教員の姿を書いている点にあると思われます。それも淡々と。研究をするために「雑務」をうまくさばく、その雰囲気がよくでていて、読んでいて「そうそう」と相槌を打ちたくなります。

例えば、「学生にシンパシーを持っていなければよいゼミは成り立たない」(15ページ)というのはまさにそのとおり。全体のメンバーのバランスを考えつつ、役割分担も意識しながら、「一緒に勉強したい」学生をとる。もちろん、定員が少なかったり、教員が選抜できなかった場合はこの例は当てはまりませんが、ゼミの選抜の目的がここにあることは間違いありません。また、「書くことだけがお前を助ける」(41ページ)というのも示唆に富む言葉です。研究者はもちろんですが、学部学生についてもあてはまる。まさに名言と呼ぶべき内容が随所にちりばめられています。

ところで、最近の若手研究者は昔のような研究だけ熱心で、授業は適当という世間がイメージする大学教員は少ないのではないかと直感的に思います。逆に、教育にも熱心。授業は資料もするし、解説も丁寧。丁寧すぎて、受動的な学生を再生産させてしまっているのではないかとも思います。周りの同僚を見てもそう思います。