資料収集
午前中にOISRに訪問。昼過ぎから元同僚とともにランチをご一緒する。午後から事前に依頼していた文献のコピー。研究員総会に残り30分程度出席し、東大名誉教授のY先生のご講演を拝聴する。労働調査の半世紀についてお話しいただく。理論と実証との関係をどう考えるのか興味があったが、理論編のバックボーンはMarxそのもので、労働時間論、賃金論、資本蓄積論(先生はこのような表現は用いていないが、ベースにあるのはMarxの資本主義分析である)などなどである。懇親会では様々な人とお話しする。
東京に出てくると思うのが、東京では研究者は研究者としてのプライドをどのような立場の人であれ持っているということである。研究者として、研究を行うものとしてある意味では対等平等に接する。他方、地方では研究者であることを求められることは少なく、大学の教員や「先生」としての役割が求められる。「先生」と呼べるほど研究者としての実力はないが勤務先で「先生」と呼ばれるため、自分に能力があるのかと勘違い、のぼせあがる。人材が不足していることもあり、本来の研究者としての仕事の領域からははずれる仕事も縦横無人に対応することが求められる。しかし、本来の研究者のネットワークに戻ると自分が当たり前だが研究者として未熟であること、学ぶべき「先生」に学んでおくことがたくさんあることにはっと気づく。
だから、地方にいる場合研究を継続的に行うことのでき、かつ論文改定作業などに信頼できる仲間を作る、あるいは以前のネットワークを生かして論文改定を行うなどの集団を作ることが必要である。地方にいると忘れてしまうが、東京や大阪など首都圏に来ると、この「当たり前」のことを思い出す。大学勤務でもこういった「研究者」としてのプライドを持って、仕事を継続できるのは研究所などを除けばかなり少ない。問題は、大学院生時代と比べれば、専任教員では所得や生活環境という点で安定するため、生活の維持を考えれば、学内行政をきちんと行うことに当然のメリットがある点である。