ラグビーと革命家

とてもいいコラム。こういう文章を書けるのは世界広しとも藤島大さんしかいないだろう。このコラムでは著者のラグビー観が余すところなく展開される。ラグビーと友情、レフリーとラグビー、キャプテンの大事さ…。「ラグビーをすれば世界中の人と酒を飲み、仲良くなれる」。これが著者がいつも話すこと。たぶん真実だろう。藤島大さんは近くBBM社から本を出すらしい。期待したい。
http://www.suzukirugby.com/column/no_69.html

第69回「革命家にも資本家にも」藤島 大


ベネズエラのシモン・ボリーバル空港で、珍しく、自分のためのみやげを買った。


チェ・ゲバラの人形。物議をかもすベネズエラの現職大統領、ウーゴ・チャベスキューバの指導者、フィデロ・カストロと並んで、みやげ店の棚に、ゲリラ帽のゲバラがいた。120ボリーバル、公定ルートで約6千円、けっこう高いが、小さいくとも重厚な胸像であって、この種の人形の絶対必要条件は満たされている。すなわち、ちゃんと「似ている」。


革命家、チェ・ゲバラは、41年前、南米ボリビアの山中で39歳にして政府軍の手により短く濃密な生を終えている。このコラムに思想と行動の是非を問うつもりはない。ただチェ・ゲバラは、ラグビーを愛していた。ラグビーを愛する者の人形を特別に欲しくはない。革命家の人形なんかいらない。でもラグビーを愛する革命家の人形なら絶対に買いたい。


ゲバラについては、ちょうど1年ほど前、ラグビーマガジンにも書いた。ワールドカップでアルゼンチンが躍進したこともあり、フランスや英国の新聞は「アルゼンチンのラグビーゲバラ」について盛んに報じて、それを紹介したかった。


ゲバラは、アルゼンチン・コルドバの生まれである。裕福な家に育ち、やがてラグビーに夢中になった。体は細かったけれど「よいタックラーだった」と昔の仲間は証言している。ポジションは、おもにWTBかCTB、喘息に悩み、試合中に酸素吸引を行うこともあったのに、プレーをやめようとはしなかった。


ブエノスアイレス医学生時代には『タックル』というラグビー誌をつくり編集長を務めた。計11冊。現存する雑誌は、オークションでたいそうな値をつけるらしい。


チェ・ゲバラが、時代と体制を超えて、多くの人間の関心をひくのは、思想ではなく行動における人格ゆえではないか。そもそも将来を嘱望される医師だったのだから、そこにイデオロギーを自身の出世の道具とする嫌らしさはない。また自身の過去の不幸や屈折の反映として、現在そこにあるものを破壊してしまいたい、というような願望とも無縁だ。ゲバラの青春は開明的な家庭と素敵なラグビー仲間に恵まれていた。だから、そんなに変なことをしない。キューバで大臣になっても労働者として汗を流し、来日時、広島の原爆跡を見るため、公式日程にないのに、大阪から夜行列車に飛び乗ったりした。


つまりチェ・ゲバラは、革命を唱えつつ、比較すれば、精神は自由だった。ここが多くの独裁的革命家とは異なる。そして思う。ラグビーとは、つくづく「自由」と相性がよいのだ。


エリス伝説の真偽はともかく、フットボールの試合中、いきなり手でボールをつかんだのが発祥だとすれば、ラグビーとは起源において自由ではないか。体制に従順でないとも言い換えられる。


イタリアのファシストムッソリーニラグビーを好きになりかけた。勇猛なる古代ローマ競技の現代版と見なして奨励しかかるも、すぐに選手たちの「非従順性」を見抜き、関心を失う。昨年9月、タイムズ紙にリチャード・ベアード氏は書いている。「あの時代、イタリアでサッカーをしないことが、そもそも反抗的な証である」。


ラグビーをしているからといって、また、愛しているからといって、誰もが、チェ・ゲバラにはなれない。ならなくたってよい。でも、チェ・ゲバラになりたければなるべきだ。ラグビーが画一的な方向へばかり進んだらつまらない。よきラグビーとは、よき革命家も、よき資本家も、よき反逆者も、よき支配者も生み育てるべきなのだ。


かつて、とある老シナリオ作家が教えてくれた。学生運動盛んなころ、よく体育会の学生は大学側の「スト破り」にかり出された。でも「早稲田のラグビー部の有志たちが(寮のあった)東伏見の駅前で、他の部のスト破り要員を引き留めているのを見た」。いい話だ。ストは許せないという考えもあってよい。しかし運動部だから、みんながそうだというのはグロテスクだ。いつだってラグビーは多様な価値観に寛容であってほしい。