諸井克英(2021)『表象されるプロレスのかたち』ナカニシヤ出版

 諸井克英(2021)『表象されるプロレスのかたち』ナカニシヤ出版。図書館でざっと読んだけれど、面白かった。心理学者による本格的な研究書の体裁をとっている。ざっと読んだ限り、脚注もしっかりしている。まずは女子プロレスの試合で起こったナックルパートによる流血事件を手掛かりに、プロレスとは何かを考察している。

 そのうえで、佐山聡ミスター高橋などのある種の内部告発的な著作を手掛かりに、八百長とは何か。ギミックと何が違うのか。観客が求めるプロレスの役割とその逸脱とは何なのかを考察している。全体として、プロレス論議にありがちな八百長・非八百長というあまり建設的ではない議論を乗り越えて、プロレスの空間の意味を考察しているのが、面白い。

 プロレスで想定される予定調和的なストーリがあって、そこを逸脱する。その場合、プロレスファンは喜ぶ。ただし、ハルク・ホーガンラリアットを食らった猪木が、リングサイトで舌を出して失神したことに象徴されるように、それが行き過ぎると歓迎されない。行き過ぎは、失笑を買い、批判の対象となる。他方で、晩年のジャイアント馬場のキックには、馬場が倒れないよう、相手選手が配慮しながらぶつかっている。この場合は、それを楽しむ観客がいる。観客が期待するストーリーとそこからの逸脱、このあたりのバランスを絶妙に整理している。

 本文の写真の多くが筆者撮影となっている。このことから、筆者が実際に多くのプロレス観戦を行い、そのことを踏まえた文献研究を行っていることがうかがえる。そのことも、分析内容の説得力というか、信頼感を高めている印象がある。