三宅義和・居神浩・遠藤竜馬・松本恵美・近藤剛・畑秀和『大学教育の変貌を考える』ミネルヴァ書房

大学教育の変貌を考える (神戸国際大学経済文化研究所叢書)

大学教育の変貌を考える (神戸国際大学経済文化研究所叢書)

 学外のFDフォーラムに参加するにあたり、大学教育の在り方の知見をえようと思い読んだ。
 居神浩「この国の高等教育政策の課題」では、『日本労働研究雑誌』にて「マージナル大学」という概念を普及させた著者の苦悩が描かれている。居神によれば、マージナル大学とは、「受験生の選抜性を大きく低下させた大学群において生じた、伝統的な大学・大学生像では把握しえない変化を捉えるための概念」である。これは従来の大学生の概念では捉えられず、研究者養成でもエリート養成でもないものとして、大学生のしんどさとむきあう必要性を論じたものである。その後、この概念は広がるが、18歳人口や保護者にこの言葉の意味が届かない。それはなぜか?居神は、大学に関する議論が「市場の論理」でのみ語られているからだとする。そして、社会に出ていくしんどさに対して、「まっとうでない現実への異議申し立て力」の具体化が必要と述べるとともに、他方では、「ヒーロー」の出現を待望するような方向性へ進む状況への懸念を述べている。最終的には受益者負担、高等教育の私費負担が大きい日本の現状が、消費者としての主張だけを強めることの問題性を浮き上がらせている。偏差値で言えば真ん中周辺の大学の教員、職員、学生が抱える独自の困難を浮き上がらせている。
 三宅義和「大学の選抜性とは」では、大学の学びの階層性を指定している。選抜性の高い順にAグループ大学、Bグループ大学、Cグループ大学とする。Cグループ大学の学生は、授業を無意味とみなす傾向が強い。B・Cグループ大学では、「疑似達成」感が強い。Cグループ大学では、学生が疑似達成そのものを評価されるべきとする傾向が強い。ここで、疑似達成とは、「達成の本質がいつのまにか失われ、代用的な別種の事柄(アリバイ)【=出席】へと置き換わること」と定義されている。出席をすることを「疑似達成」とし、階層が下になればなるほど、この欲求が強まるというのは興味深い指摘である。全体として、神戸国際大学のこの仕事は非常に貴重だと思う。