読書:『「子育て」という政治』―現代日本の諸問題が先鋭化したものとして保育問題を捉える必要性

読了。一読して感じたのは、待機児童問題に象徴される保育問題は、現代日本の諸問題の縮図であるという点である。子育てを円滑にできないことは、非正規雇用が増大し、正規労働者の長時間労働が問題となっている「就労」の問題ともかかわる。保育所の公的保障が進まないのは、政府の規制緩和路線と親和的である。また保育士の離職率が高いのは、保育士自身が長時間労働で、家庭と仕事の両立が難しいこと、賃金等労働条件も相対的に低い点に求められる。つまり、本書は総じて言えば、保育、子育て、さらには就労に関する現代日本の諸問題を包括的に扱った良書なのである。保育問題については断片的なものが多いだけに、新書でここまで論点を網羅する本書は貴重である。
 以下、本書で論じていた論点を簡単に整理しよう。
 本書では横浜市の待機児童ゼロを手がかりに、待機児童の定義上の問題について論じている。旧定義では認可保育所に入れなかった子供とその家族を対象にしていたのに対し、新定義では自治体が助成する認証保育所に入った場合には、「待機児童」からは除外される。そして、保育所に対する基本的な視点として、「親の便利は、子の不便」という大事な教訓を引きだしている。すなわち、直近の東京都知事選挙舛添要一が掲げた「駅近」の保育所は、もちろん保護者の通勤に便利な場所である。ただし、それが「高架下」に設置されていれば、子供が生活するうえでは好条件ではない。
 また、小泉内閣以降の政府の姿勢を基本的には規制緩和路線として、「詰め込み」保育が子供に与える問題点についても指摘している。保育所の最低基準自体もそれ自体がベストではなく、各自治体でなされている独自の基準が、保育環境にとっては非常に劣悪であることを具体例を用いて検証している。
 全体として、待機児童ゼロ戦略の問題性を指摘しながら、なぜ保育の公的保障が必要なのか、保育と預り所は何が違うのか、保育者の専門性を担保するものは何なのか、を鋭く迫っている。本書に出てくる子供を亡くした親御さんの声は切実である。ベビーシッダーによる殺人事件も、女性の貧困、公的保障の後退など、様々な諸問題の顕在化として把握している。待機児童問題に象徴される保育問題は、一部の人々に係る問題ではない。現代日本の諸問題が先鋭化したものである。こうして、保育問題を捉える本書の姿勢に、評者は全面的に賛成である。小学校が義務教育であるのと同じく、すべての希望者が認可保育所に入れる仕組みを法的に裏付けることと、そしてそのための声を親自身が上げ続けることが、必要であることを考えさせられる読書であった。新書であるが内容が詰まったいい本である。