ノーベル賞にまつわるいい話

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081008dde041040029000c.html
益川先生の貴重な一言。「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」…。どうしても自分の研究に専門化しすぎて、周辺分野や自然科学について見えなくなることの多い自分には考えさせられるお言葉。視野狭窄になってはだめ。いい言葉です。

ノーベル賞:物理学賞に日本人3氏 気骨の平和主義 「非主流」の逆転(その1)

 日本初のノーベル物理学賞トリプル受賞を決めた3氏。長年、素粒子研究で世界をリードしてきた点では共通するが、気骨の平和主義、細部へのこだわり、時代の先取り−−という生き方はさまざまだ。

 ■益川さん
 ◇「湯川先生の原動力は、核で人類が滅ぶ恐怖」

 穏やかでちゃめっ気のある益川敏英京都産業大教授(68)だが、「反戦」を語る気骨の平和主義者でもある。

 作家の大江健三郎さんらが作った「九条の会」に連動し、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足した。益川さんは呼びかけ人の一人だ。同時期に誕生したNPO法人「京都自由大学」では初代学長に就任し、市民の中に飛び込んで平和を語った。

 原点は幼少期の体験にある。益川さんは名古屋市に生まれた。小学校入学前、第二次世界大戦を体験し、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き抜けた。「不発だったが、周囲はみな燃えた。両親はリヤカーに荷物を積んで逃げまどった。あの思いを子孫にさせたくない」と言う。

 05年、自民党憲法改正に向けた要綱をまとめた。中国で反日デモが相次ぎ、JR福知山線事故が発生した。平和と命の重みが揺らいだ。

 当時、益川さんは「小中学生は憲法9条を読んで自衛隊を海外に派遣できるなんて考えない。だが、政府は自衛隊イラクに派遣し、更に自衛隊の活動範囲を広げるために改憲を目指す。日本を戦争のできる国にしたいわけだ。僕はそんな流れを許容できない」と猛然と語った。

 1955年、アインシュタインら科学者11人が核兵器廃絶を求め「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した。その一人が益川さんが尊敬する日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士だ。「湯川先生の原動力は核で人類が滅ぶ恐怖だったと思う。僕はより身近に、一人一人の今の生活を守りたい。その実現に、戦争はプラスですかと問いたい。殺されたって戦争は嫌だ。もっと嫌なのは自分が殺す側に回ることだ」と強調する。

 受賞から一夜明け、「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない。僕たちはそう学んできた」と力を込めた。

 益川さんは午前中に京都市内の京都産業大学で1回、京都大学で1回、記者会見。会見中にもテレビ中継が入るなど「時の人」に。

 益川さんは7日家を出る時、妻明子さん(65)に「これまでの受賞者を見れば今日の可能性が高いよ」と話していたといい、家に帰ると明子さんから、報道陣に「(受賞は)大してうれしくない」と話したことについて「偏屈なこと言わずに素直に喜べばいいんですよ」と言われた。【奥野敦史、朝日弘行】